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怕いはなし

どもどもみなさまお元気にされとりますか。

やっとこさ寒くなりましたね え

と思うたら北風は晴れ、南風は雨 と雨降り。


前回、大阪展を終え、兵庫の田舎に戻り祖父母のお墓参り、先月亡くなった犬のお墓にも手を合わせ、あとは泥のようにねむる。

軽く散歩する、誰もいない。あの池、凍ったあの池で幼馴染とスケートまがいなことしたな、この池の傍にある山道は家までの近道で、でも夜は暗くて怖くて早足で帰っていたな。後ろから車がきた、軽トラに年寄りが二人、どこかで見たような、知らない、軽く会釈。

その 瞬間のえもいえぬこわさと山の中の畏怖とがある。

小学生の頃はよく猟師の銃声が鳴っていた。ある日捜索隊と警察犬が帰り道にたくさんいて、聞いてみると人がいなくなったと、その後池の上に人が浮かんでいるのが見つかったと聞いた。スケートした池やなあと、大して驚かなかった。幼馴染とその話はしなかった。


何かの下にいたというのがわたしの最初の記憶だ。何かというのは堀炬燵で、 炬燵の脚や家族の脚、それに炬燵布団の分厚い毛布が小さく灯った紅いヒーターに 照らせれてぼんやりと見える。炬燵の中は暗く、わたしはそこが気に入っていた。 田舎でのことで、3歳から4歳にかけての頃だった。1999年のことだ。堀炬燵の下にいると気分が良かった。わたしがいる事に誰も気づいていないようだった。冬はヒーターの明かりが炬燵布団のない夏はカーテンからこぼれた日の光が脚や紅い座布団に当たっている。わたしは日の光が好きだった。みんなの脚にはあまり興味がなかった。


「バンッ!」

ちいさな音が少しづつ大きくなり、最大限大きくなったところで破裂音が鳴り目が覚めた。と同時に冷たいいくつかの手が同時に顔・腕・脚と 滑らかに触れられていくのがわかった。それは人間のように指紋や節があるように は思えず丸みをおびた細い触手のように感じた。

それ がはじめての奇妙な体験だった。夜中、みんなの脚はなく真っ暗だった。




ルッジェロ・デオダート監督作の『食人族』という映画があります。


"男女4人のアメリカ人ドキュメンタリー撮影隊が グリーン・インフェルノ と呼ばれる南米アマゾン奥地を探索中に消息を絶った。救助隊が結成され、現地に向かうが、未開のジャングルの奥地で食人族の村に辿りつき、無残にも白骨化した遺体を発見する。一体、その村で何が起こったのか?捜索隊が持ち帰った撮影済フィルムを現像し、上映すると、そこには想像を絶するおぞましき光景が記録されていた 。"


この映画は、文明社会に生きる人間が、ある民族の村を荒らし、ただ食われるという物語である。どちらが野蛮であるか、というのを強烈に、そして淡々と訴えかける本作は、自分の立場や居場所を変えればなんの尊厳もなくなることを心底思わせてくれます。

ジャケットや内容からは多くの人がウッとなってしまうのもわかるがイタリアなネオリアリズモの文脈とヤコペッティなモキュメンタリー、無駄のない物語の流れ、リズ・オルトラーニの大地をゆるやかになぞるように映画を通して流れ続ける幽玄な音楽まで、登場人物達を対比せず、そこに在ることを一定に描く本作は今なお汲めども尽きせぬ作品であり続けているように思います。

1983年『食人族』ルッジェロ・デオダート


世の中にはいろんな怕いはなしがありますが『食人族』を観ていると、人間がいちばん怕いのかもしれません。

なんて言うひといますよね。


-------『終わり』。


*上に書いたホラー短文は、創作です。

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